囚われの身?にもかかわらず、囚われておらず!とらわれの身?にもかかわらず、とらわれておらず!
東京・新日本橋(しんにほんばし)にある「分身ロボットカフェDAWN ver.β(ドーン バージョンベータ)」というお店。ここは、外出困難な人々が分身ロボット「OriHime(オリヒメ)」を遠隔操作し接客するカフェで、パイロットと呼ばれる人たちが自宅から遠隔で操作をしています。
そしてそのパイロットの多くは、企画者たちが「寝たきりの先輩」と呼んでいる外出困難な人や寝たきりなどの重度障害をもつ人たち。分身ロボットをとおして、日本や世界各地からこのカフェで接客をしています。
わたしも数年前からたびたびこのカフェを訪れていますが、最近は外国人のゲストが多いからか、パイロットが英語で接客していることも。そんなパイロットのみなさんは、この仕事にどのようなことを感じているのでしょうか。今回はこちらで働いているパイロットのひとり、松原葉子さんに“パイロットの裏側”を少しだけ教えてもらいました。
松原葉子(ようぽん)さんのプロフィールURLは以下から
https://www.officearches.com/artist/yoko-matsubara/
思いがけないストーリー
病院や施設で暮らす。そうなったら人生おしまいだー!世間からはそんな声が聞こえてきます。
かく言う私も、どこかでそう思っていたのかもしれません。幼い頃から進行性(しんこうせい)の難病とともに生きてきたものの、生活の拠点がまさか病室になろうとは思ってもいませんでした。
しかし、人生とはなんとエキサイティングなのでしょうか。リードオルガン奏者として活動を続け、人工呼吸器と電動車いすを相棒にした入院生活も7年目を数えた今、人生の新たなチャプターを彩り豊かに紡いでいます。
もう一つのカラダから拡がる世界
私の人生にとって、新たなチャプターの一つとして考えることができるのは「公認OriHime(オリヒメ)パイロット」です。
約2年半前の2022年1月、「公認OriHime(オリヒメ)パイロット」になりました。パイロットとして活動するときは入院先の病院から約450キロメートル離れた東京・日本橋(にほんばし)に遠隔出勤し、「分身ロボットカフェDAWN ver.β(ドーン バージョンベータ)」にいる私の分身である「オリヒメ」に私の魂を宿すことから始まります。そこでは日々、新たな出会いと発見を重ねています。
もっぱらアナログ派だというのに、気がつけばコミュニケーションテクノロジーの力を借り、駆使している。しかも、私のもう一つのカラダといっても過言ではない 「分身ロボットOriHime (オリヒメ)」のおかげで、病室に居ながらたくさんの人とライヴで心を通わせることができます。テクノロジーの進歩にはただ驚かされるばかりです!
ときには、期間限定地域キャラバンカフェ開催地の特別支援学校の生徒さんたちを対象にした、「OriHime(オリヒメ)遠隔就労体験プログラム」において、先輩パイロットとしてご一緒することもあります。カフェで働くお仕事のいろはや、会話しながらオリヒメを遠隔操作するポイントもお伝えしながら、生徒さんたちの新たな挑戦に寄り添い、キャラバンカフェでの接客デビューに向けて一緒に駆け抜けています。
「人見知りなので…」と最初は不安そうにしていた生徒さんも、研修を重ねるうちに、「できない」から「できた!」という喜びに変えられ、どんどん自信がついていく。自分には無理だとあきらめていたことにもチャレンジしてみたい!OriHime(オリヒメ)があれば、もっと人と社会とつながっていくことができる!と。かけがえのない人生の輝く瞬間を、応援団長のような眼差しで見守っています。
生徒さんお一人おひとりの魅力が少しずつ、それも思いを超えて存分に発揮されていくプロセスは、ご本人はもとより、かかわるすべての者たちにとっての大きな喜びです。
とりわけ、肢体不自由の特別支援学校高等部の卒業生の進路は、福祉施設への入所や通所が大半を占めており、就職率は1割にも満たないなど将来への選択肢が極端に限られてしまうことが現実的な問題として立ちはだかっています。そんな現実を少しずつでも変えていきたい。
そのために、OriHime(オリヒメ)をとおして、新たな可能性と希望を一緒に見いだし、選択肢を拡げていこうと日々、挑戦しています。
フランスの中心で、愛を歌う!?
先日はとうとう、病室から日本を飛び越して海外へワープしました!
出かけた先は約1万キロメートルも離れた“花の都(みやこ)”パリ。もちろんパスポートは不要です。本来、パリまで出かけるとなると、常時、医療ケアを必要とする私の場合、それは命がけの旅になります。いくつものハードルを超えなければならず、相当の覚悟も必要で…。しかし、「オリヒメ」というもう一つのカラダでは、移動時間はほぼゼロ。長旅による疲れや時差ボケもなく、ルンルン軽やかにパリでのミッションに集中することができるのです。
パリへワープしたのには理由があります。
「遠隔就労」という私たちの働きかたを世界のみなさんに紹介するためです。
フランスで開催された世界最大級のオープンイノベーションカンファレンス「VivaTechnology(ビバテクノロジー)2024」から招聘を受け、オリィ研究所のブース出展にOriHime(オリヒメ)パイロットの仲間たちと参加しました。来場者は15万人を超えるビッグイベント。
BUNSHIN(分身:ぶんしん)という概念もない大舞台(おおぶたい)で、目の前を通りかかる来場者のココロをいかにしてキャッチできるか。それがまず、私たちの第一のミッションでした。AI(エーアイ)ではなく、遠隔操作ロボット「OriHime(オリヒメ)」を日本から人が操作し、存在を伝えている云々…。でも、ぐだぐだ説明をしていてはまにあわない。来場者が目の前を通りかかる、その一瞬が勝負なのです。立ち止まって注目してもらわないことには、始まらない!
そう、こんなときこそ、人間らしく歌って、踊って、あなたのココロをつかませて!もはや、そんな境地でした。
まるで踊っているかのように遠隔でパタパタ身振り手振りのモーションをつけながら、「オー・シャンゼリゼ」をパリっ子さながらにノリノリ歌い、世界中の老若男女が知っている「しあわせなら手をたたこう」を少年たちと一緒に手をたたいて歌い…。そうして、私は生まれて初めて訪れたパリをあとにしたのでした。
思い返してみると、ちょっぴりてれくさくなります。でも、それこそBUNSHIN(分身:ぶんしん)の強みを生かしたパフォーマンスだったのではないかとも思います。一緒に歌いながらココロとココロがふれあった、パリでの忘れがたいシーン。あのときもまたブレイクスルーの瞬間だったのかもしれません。
モヤモヤから一歩先へ、みんなではじめるアクション
「葉子(ようこ)さん、誰よりも遠くに行ってきちゃったんですね!」
イベント終了後も病棟の看護師さんにそう言われてしまうほど、もはや「水を得た魚(みずをえたうお)」のようにいきいきとしていたワタクシでした。しかし、同時に、自分を取り巻くこの社会は、まだまだ変わらなければならないと感じています。
本来、誰もが平等に与えられているはずのたくさんの権利があります。でも、現実はどうでしょうか。いまだ、乗り越えなければならない高いハードルが多く存在しています。ハンディキャップを持つ当事者や家族が、涙ぐましい努力と忍耐を強いられてしまうのはなぜなのでしょう。 「生きることがこんなに大変だなんて」と、そう感じる日も少なくありません。
「立ちはだかるさまざまな障壁と向き合うなかで、誰も取り残されない真の共生社会を皆で創るべく、具体的な社会変革に参与したい」。そのように一念発起し、国連の機関でも採用されている「障害平等研修(Disability Equality Training、通称 DET)」の登録ファシリテーター(対話の進行役)としても病室から活動をしています。
障害平等研修は上からの押し付けや一方的な講義ではなく、参加者みんなで立ち止まり、議論し、自分ができる行動を一緒に考える機会となります。そうした得がたい経験を共有できるのは、大きな希望になります。
この研修はワークショップを通して、「障害とは何か」を問い直し、参加者がいかにモヤモヤするかが、ミソと感じています。
一人ひとりの行動を促すスタート地点という意味で、モヤモヤからの議論を経て、自分と社会が変えられ、明日へのワクワクにつながっていくことを考えると、楽しくてなりません。
ピンチをチャンスに!新たな扉をひらく
じつは、OriHime(オリヒメ)パイロットと障害平等研修ファシリテーターのキャリアはそれほど長くはありません。感染症対策という名の厳しい制約のもと、病院からの外出も叶わなくなった新型コロナウイルス感染症の世界的大流行(パンデミック)以降にチャレンジを始めました。
やむを得ぬこととはいえ、病院という組織の中で管理されている入院患者である以上、社会的隔離を余儀なくされた当初、「いよいよ閉ざされた世界に追いやられた」と思ったものでした。
「○○だから、できるはずがない!」と自他ともに、そうした思い込み、常識に囚われていることは多々あります。ですが、ちょっとした発想の転換で、「できない」から「できる!」に変えられることがあります。窮地に立たされたところから予想しなかった展開へとひらかれていくこともある。
むしろ、閉ざされたと思ったところから、ひらかれる新たな扉があることを知ったのです。「ピンチは、チャンスに変えられる」と。
存在に、寄り添う「音色」を!
「こんなに忙しい入院患者は初めて!」と病院のスタッフからよく言われています。
病室に居ても、とことん人と社会とつながり続けている私の姿をみて、身近な医療スタッフの意識も少しずつ変わってきているのを感じています。
もちろん、病院の理解と協力なしにできることではありません。一つひとつ丁寧に働きかけ、より良い関係を築くことに心を尽くすのは言うまでもありません。
しかし私は今日も、病室から出ることも、自分の意思を伝えることもできない仲間たちと一緒にこの病棟で暮らしています。
ここで生活をしてみなければ知り得なかった現実もあります。もっとも病棟も社会のド真ん中です。「共に生きる」とはどういうことなのか。考えない日はありません。どうしたいのか(doing)ということよりも、まず、どうありたいのか(being)。何かができるとかできないとか、そんなことはあまり重要ではありません。たとえどのような状況に置かれようとも、誰もが最期まで“その人らしく”あり続けることができるように。
そして、「生きててよかった!」と、かけがえのない一瞬いっしゅんをだきしめて生き切ることができるように、願っています。
毎朝、祈りを込めて奏でる音色が、誰かの耳に、心に、そっとふれるものであるならば、置かれているこの場所は、リードオルガン奏者としてこれ以上ない大切なステージの一つなのではないかと受け取っています。
かつて夢見ていたような世界とは少し違う舞台なのかもしれない。けれども、思ってもみなかった大切な舞台に、あえて連れてこられているようにも感じています。思いがけない人生の大舞台(おおぶたい)。たった一つの音(おと)であっても、おざなりな音色を奏でることはできません。
さあ、ここからどんな音色のストーリーが生まれていこうとしているのでしょうか。自分にしか奏でることのできない音色を求めて、今日もまた、一人ひとりの「いのち」と響きあい、聴きあいながら、心躍らせています。
何にも、とらわれることなしに…!
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