福場将太とドラえもん「だから僕は、僕の道に飛び込んだ!」福場将太とドラえもん「だから僕は、僕の道に飛び込んだ!」

たまたま観ていたNHK北海道の番組。ほんのわずかなシーンであるモノが気になってしまったわたし。本棚の一番上に鎮座していたのは、大人が抱えても上半身が隠れてしまうほどビッグなドラえもんのぬいぐるみ。これは、いったい。何かとっておきのエピソードがありそうです。
ビッグなドラえもんのぬいぐるみの持ち主こそ、今をときめく一人、福場将太先生。2024年10月にサンマーク出版から出版された『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』の著者です。福場先生へのインタビュー3回目は、深くかかわり合っている福場先生ご自身の冒険とドラえもんのストーリーについて伺いました。
ドラえもんとともに
福場先生:僕はドラえもんが大好きなんです。なんというか、異次元(いじげん)で魔法の世界というファンタジーよりも、現実の中に一つだけ不思議な要素が入ることで見えてくるものってたくさんある。そういう設定の話が好きです。ドラえもんという不思議な存在がいることによっていろんな物語が生まれてくるんですよね。
ドラえもんって、1979年にアニメが始まって翌年から毎年、映画も上映しているんです。僕は1980年生まれなので、毎週テレビでもちろん観ていましたし、漫画も読んでいました。言うなれば、ドラえもんとともに歩んできたような感じです。

ドラえもん映画とシンクロした一年
福場先生:網膜色素変性症と診断されたのは医学部5年生のときでした。病気がわかった時点ではまだそれなりに見えていましたし、日常生活もできていた。でも、不思議なもので診断がつくと急に進行が早まって、1年後、6年生くらいの時にはすでにけっこう見えづらくなっていました。ちょうど目が見えなくなってきて、国家試験に落ちて、一年間さまよっていたときが、じつはドラえもんの声優交代のタイミングと重なりました。
つまり、その年は声優交代でドラえもん映画は公開されなかった。僕が休んでいるあいだにドラえもん映画も一回休み、みたいな感じで。なんかすごくそこでシンクロしたんです。
巻き込まれた冒険ではなく
福場先生:ドラえもんの映画って、藤子・F・不二雄先生が原作を描いていらしたころは、のび太くんとドラえもんがいつもと違う世界に遊びに行って、またそこで事件に巻き込まれて冒険が始まるというストーリー展開が多いんです。けれども、初期の作品では必ず、一回、元の世界に戻るチャンスがあるんですね。
たとえば映画の第一作め「ドラえもん のび太の恐竜」の場合、悪いやつらが元の世界に返してあげようって提案してくる。知らん顔してそのチャンスを使えば元の世界に戻ることができるのに、でもやっぱり、「いやいやほうっておけないよ」みたいな感じで冒険が続くパターンがすごく多いんですよね。最初は巻き込まれた冒険だったのが、じつは自ら飛び込んでいく冒険に変わるシーンがあるんです。
自分で飛び込んだ冒険に切り替える!
福場先生:僕が医学部に進学したのは医者家系だったというところもあるから、自分でというよりは巻き込まれて医学部にいるような気がしていたし、目が見えなくなったのも病気に巻き込まれた感じがしていたんです。が、自分で飛び込んだ冒険に切り替えなきゃいけないなと思って。それでもう一回、国家試験を受けようと思ったんです。巻き込まれた冒険から、自分で選んだ冒険に変える。ドラえもん映画ではそうだよなって、自分もそうしようと思いました。
道が消えかけている宇宙船の絵と自分の未来がちょっと重なったような気もして
福場先生:映画第二作に「ドラえもん のび太の宇宙開拓史」というのがあります。部屋の畳が宇宙船につながってしまって畳をめくると別世界の星に行ける。そこで事件に巻き込まれるのですが、別の星の話だから関係ないって言えば関係ない。
でも最後、畳と宇宙船の合体が離れて、道がだんだん消えかけてくるんです。向こうの星へ行けなくなる…と。そのときに向こうの星がたいへんな状況だから助けに行ってあげたいと思う。だけど道が消えてしまったら現実世界に戻れなくなる。
しかしそこで、のび太くんたちは「行くよ!」って言って飛び込んでいくシーンがあるんです。

福場先生:僕もだんだん目が見えなくなりつつあったから、国家試験に飛び込むならもう今年しかないって思ったんです。これ以上、目が悪くなったら国家試験自体、受けられないって思ったんです。
道が消えかけている宇宙船の絵と自分の未来がちょっと重なったような気もして、「行くなら今しかない!」って。もう一回、国家試験、全力でチャレンジしてみようって。
取材をおえて
激辛でもなく、とっておきのスパイスがほどよく効いた、味わうほどに豊潤な香り満ちていく。まるでそんな美味しい食卓を一緒に囲んだときのように、福場先生のお話しを伺いながらいつしかじんわり、全身があたためられていました。
ドラえもん愛も、音楽や執筆、ハガキ職人も、当事者としての思いも、こころの専門家としても、目の前にいらっしゃる福場先生は、どのようなときも屈託のない笑顔がよく似合う先生でした。そして何より、とことん「表現者」。と言っても、まろやかなマイルドブレンドのような福場先生も、ご自身の病気を開示できるようになるまで15年の時間が必要だったとのこと。誰もがそうであるように、悩み、迷い、進んでは戻ったりしながら…。

書籍の最終章に、福場先生の座右の銘でもある言葉があります。「運命は変えられなくても、人生なら変えられる」と。福場先生のご著書は、進行性(しんこうせい)の難病とともに生きるわたしにとっても多くを語りかけられました。まだまだできることがあるよ、人生はもっと面白くなるよ、と。
自分の道を見失いそうになるとき、暗闇に一人うずくまってしまうとき、福場先生の書籍を通してやわらかな光がさしこんでいきますように。お読みくださったみなさんの心もまた、じんわりあたためられますように、そっと願いつつ。
サンマーク出版「目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと」ページURLは以下から
https://www.sunmark.co.jp/detail.php?csid=4173-6
福場将太 オフィシャルウェブサイト「MICRO WORLD PRESENTS」ページURLは以下から
著者の福場先生ご本人による「目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと 完全ガイド」ページは以下から
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