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人生は発想しだい!福場将太の生きるヒント

診察室で満面の笑みを浮かべる福場先生の写真。引き込まれるはなしかたと笑顔が印象てきでした

2024年10月にサンマーク出版から刊行された『目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと』が話題になっています。著者は、福場将太先生。網膜色素変性症という難病とともに歩む精神科医。支援者であり、当事者でもあります。

と、スタンダードな紹介はここまでにして、なんと言っても魅力的なのは、先生の人柄そのものです。いったい、どんな少年、青年時代を過ごされていたのでしょう。そんなところから気になってしまったわたし。

福場先生へのインタビュー2回目は、楽しいことや面白いことが大好きな先生ならではの生きるヒントを。そして、第二のふるさと、美しき唄のまち北海道美唄(びばい)市への思いも伺いました。

 

楽しいことをするのが好きで

福場先生:幼いころからみんなで面白いことをやったり、人を笑わせたり、楽しいことをするのが好きでした。小学生のころは、よくクラスメイトを登場させる漫画をノートに描いていましたね。

休み時間に少しだけメガネのかけかたとか帽子のかぶりかたとかを変えて、変身して教室に戻ってくるとか。「冒険に行くぞ!」と言って、友だちと何もない山に冒険に行ったり、そういうことをよくしていました。クラスのなかの笑わせ役だったかもしれません。

 

発想次第で、世界はいくらでも楽しくなる!

面白いこと探しの名人のような福場先生。その原点は、中学生時代にありました。

書籍では、先生ご自身の人生を後押しし続けている嘉門達夫さんとの出会いのエピソードと感謝が綴られています。割かれているページ、なんと10ページほど!ラブレターさながらの熱量に引き込まれてしまいました。

 

福場先生:僕は中学生時代からハガキ職人をやっていたんです。たまたま、嘉門タツオさん(当時は嘉門達夫さん)のラジオ番組を知って、ハガキサイズの紙にネタをいっぱい書いてまとめて封書で送付していました。多いときは月数百枚くらい!ネタを考えることを通して、自分の中に「なんかオモロイことないかな?」と考える癖がついたように思います。今までなんでもなかったことが、すごく楽しくみえるみたいなね。

一見、つらいことでも楽しくなってきたりするので、そういう視点を養ってもらえたのはすごく大きかったと思います。なんか面白いことないかなって、自然にネタとして捉えることのできる癖がついたのは、発想次第で世界はいくらでも楽しくなる!という生きるヒントになっています。

たとえば、クリニックでの就労支援プログラムもそうかもしれません。ハガキ職人じゃないですけれども、「これ、テーマとして面白いんじゃない?」というものを持ってきて、それをテキストに患者さんたちといろんなテーマについて考えたりしています。あたりハズレはありますけれどもね。

診察室だとどうしても患者さんは緊張しますよね。でも、輪になって雑談のように話していると出てくる言葉もあります。やっぱり医者って、診察室の中でしか患者さんの様子がわからないので、勉強会や音楽の合唱プログラムなど、そういうときの姿ってすごく大事なんですよね。

 

ペーパーカバーをハズシタ著書、目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったことの写真。ペーパーカバーをハズスとちゃいろの表紙とせびょうしが。こちらにも福場先生のイラストがえがかれています
福場先生のハガキ職人時代のエピソードはぜひ書籍でご覧ください

 

福場将太、だからこその医療を見つけて

NHK北海道の番組をたまたま見逃し配信で視聴したわたしは、冒頭シーンからいきなり、えっ、えっ、えー!?画面に釘付けになりました。「ゲッ、ゲッ、ゲゲゲのゲー」。ギターを抱えて、患者さんたちと「ゲゲゲの鬼太郎(きたろう)」をノリノリ歌う福場先生は、診察室でもニッコニコ。印象的でした。いい意味で、もの静かな精神科医というイメージがくつがえりました。

 

福場先生:精神科の医療というのは、絶対こうだ!みたいなものってあまりないんですよね。「こころ」って誰にもわからないし、解釈をするしかない。それが合っているかどうかも誰にも答え合わせができない。学問としても未熟だし、お医者さんによってやり方も違えば、病院によって雰囲気もすごく違う。

僕なりの精神科医療を見つけてきたのは、この5年、10年弱くらいでしょうか。それこそ、ギターを演奏してみんなで歌うとか、みんなで心についての勉強会をしてみるとか。これは医療なのかと言われたら難しいのですが、そういうのが役立つんだなと感じています。自分の趣味とか好きなこととか、あるいは文章を書くこととか、どんどん自分の持ち味を活かせるようになってから楽しくなってきましたね。

 

音楽は、気持ちを保管するメディア

福場先生:音楽って心に残りますよね。僕は音楽って、気持ちを保管するメディアだと思っています。そのときの気持ちや感動、感性は書き留めてもなかなか保管できません。でも懐かしい曲を聴いたり演奏したりすると気持ちを思い出せるのが素敵なことだと思います。

認知症のかたでも思い出されて歌われたりしますし、音楽のちからってすごいなと驚きます。いろんな人に通用するエンターテイメントでもありますよね。患者さんに聞いて、僕もレパートリーが広がりました。カラオケでこの曲を歌うのはなぜ?とか、その人を知る意味でも参考になりますよね。音楽が好きなことも、役に立っているなと思います。

 

こころのチューニングをしよう!

福場先生:自由に動き回ることのできる「音楽」という世界を持っていたことは、僕が全盲になったあとにもどんなに支えになったことかわかりません。書籍のなかでも少し触れていますが、僕にとってギターという楽器は、人生の相棒です。が、僕は絶対音感がないので楽器を一人で演奏していても、音(おと)の高さや音色がズレているのに気づきません。でも、合奏で人と合わせると、全然合ってないやんけ!ということもよくあります。

心も同じで、やっぱり人と合わせていないと、自分のチューニングが狂っているかどうかはわからないんですね。コロナパンデミックのときは、みんな自宅にこもったこともあって人と人がズレてしまったし、すれ違いが大きくなった気がします。だから、人は、ふれあっていないといけないし、ふれあうことですれ違いも埋めているんだと思うんです。すぐに相手を批判するきびしさではなくて、相手の事情を察するやさしい想像力(そうぞうりょく)を思い出さないと、どんどん人を信じられなくなっていきますからね。

 

かるく腕を組もうとしている福場先生の写真
ここが診察室であることを忘れてしまうような空気感でした

 

優劣ではなく、凸(でこ)と凹(ぼこ)をはめて、誰かのために

書籍のなかでもそうですが、福場先生は機会のあるたびに、人は誰しもいろんな面をもって生きているという意味で「人間は多面体(ためんたい)」だと表現されています。

 

福場先生:精神科という物差しの場合、診断がついた途端に、精神科の患者になってしまう。けれども、いろんな面をみんな持っているんです。僕も、自分自身が支援者なのか当事者なのかよくわからなくなります。でも、それでいいと思うんです。

書籍のなかでも「わたしは目が見えないからお医者さんをやっている」と書きましたが、たまたま仕事が精神科医で、たまたま目が見えないってことなので、自分では全盲の精神科医だとは言わない。ドラえもん好きっていうのも同じくらい僕の一面なので、だから全部大事なんです。

 

大好きなドラえもんの大きなぬいぐるみを顔のまえにだしている福場先生の写真。本当にドラえもんが好きなことが写真からも伝わってきます
福場先生の相棒と

 

家から一歩、外に出ることが難しい精神科の患者さんも、自分のために脱出するのではなくて、たとえば視覚障害者を誘導するためにとか、役割があると動くことができたりします。人と話すのが苦手でも、歩くことができれば視覚障害者の誘導はできます。

それぞれの持ち味を活かして、凸(でこ)と凹(ぼこ)をはめて。誰かが優れて誰かが劣っているではなくて、持ちつ持たれつがいいですよね。そんなことを思いながらこの書籍を書いていました。

 

第二のふるさと、愛しい「美しき唄のまち」

広島県出身の福場将太先生が精神科医としてスタートしたのは、縁もゆかりもなかった北海道美唄市。以来、患者さんたちと同じまちに暮らし、地域に根ざした医療に取り組んでいます。今では、患者さんから「美唄に来てくださってありがとうございます!」と言われることもあるそう。

 

福場先生:目が悪くならなかったら、自分が北海道に来て、美唄市に住んでなかったと思うんです。でも、運命だったのでしょうか。

目が悪くなって、国家試験に受かったあとで僕は就職活動を始めました。目の事情を説明して雇ってくれる病院をあたっていたときに美唄にある病院が人手不足だったこともあり、この先もっと目が悪くなるかもしれないという事情をも理解してくださった上で、それでも来てくれるならと採用してもらったのがはじまりです。だからやっぱり美唄は僕にとっていとおしいまちです。

 

JRびばいえきまえの横断歩道付近の写真。うたをうたったらどこまでも響いていきそうな、静かで風情のあるまちです
JR美唄駅の駅前の様子

 

支えながら支えられ、お互いさまのおかげさま

福場先生:美唄で生活するようになって、2025年でちょうど丸19年になります。医療者としての僕は、患者さんを支える側です。けれども、生活者としての僕は、本当にみなさんに支えてもらって、このまちで暮らしている感じです。

タクシーの運転手さんもほとんどの人が僕が目が悪いことを認知してくださっていますし、ヘルパーさんでなくても日常の中でさりげなく助けてもらえるのは本当にうれしいです。

精神科はその性質で、患者さんと一緒に笑ったりしながらもどこかで冷静な視点は持っていないといけないので、孤独感のある仕事でもあります。正直に言うと、その一線がすごく寂しいときもあります。でも、患者さんたちと同じまちで暮らしながら、景色を感じ、季節を感じ、話しをしているときはその一線を感じずにお話しできます。同じまちで暮らしていることはうれしいことだなと感じています。

 

美唄市民として受け入れられて

お医者さんが目が見えないって発想もできないかもしれない。バレちゃってまずいかなって。当初はそう思ったりもしました。でも逆に、「わしもがんばるぞ!」 とか言われたり、「美唄に来てくださってありがとうございます」と言われたりもするなかで、ああ、なんか受け入れてもらえたんだなぁと思って。

あるとき、患者さんのご家族からタイピンをいただきました。昔、美唄で作られていたものだそうで、今はもうないらしいんです。患者さんのご家族の先代が使っていらしたもののようで、「先生、使ってよ!」と言われて。ぜひぜひ!と一応受け取って、宝物にさせてもらっています。

 

患者さんのご家族からいただいたというタイピンの写真。ケースにハイっており、ゴールドとべっこうのようないろの素敵なタイピンです。うつくしいびばいのまち、という文字もハイっています
福場先生の宝物のタイピン

 

立派な美唄市民にやっとなれた気がしますよね。できればこの、美しい唄のまちで、ここにいられる限りいたいなと思っています。人生の美しい唄をどこまでも響かせながら!

 

サンマーク出版「目の見えない精神科医が、見えなくなって分かったこと」ページURLは以下から

https://www.sunmark.co.jp/detail.php?csid=4173-6

 

福場将太 オフィシャルウェブサイト「MICRO WORLD PRESENTS」ページURLは以下から

福場将太 Official Website

 

本文ここまで

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